夢は未来に色褪せない

日々の思い出

なんぱがしたい

男に生まれたらしてみたいこと、それはなんと言ってもなんぱである。

新宿駅東南口の階段下辺りで可愛い女の子に声を掛けてみたい。ただ声をかけたいだけなので、その後の希望はない。軽くあしらわれてもみたいし、誘いに乗ってもほしい。

私は可愛い女の子ではないけれどチョロそうなオーラを出しているようで、人並みに声をかけられる。「一緒にお酒飲まない?」「お茶でもどう?」「おねえちゃんいくつ?」等は比較的当たり障りのない感じでよく使われる。

「なんか今声かけとかないと後悔する気がして」、これはとても感動した。少女漫画にありそうな出会い。少し話を聞いてみたら、某有名理系大学の院生さんだった。あー、さすがは高学歴!ってお前こんなことしてる場合じゃない

個性的すぎるものだと「おねえちゃん、ちょっとカツ丼でも食べない?」「アニメ●トまで連れてってくれませんか?」等があった。

どうして見ず知らずの人とカツ丼を食べなくちゃいけないのか。しかも時刻は23時である。その言葉を耳にしただけで明朝のことを考えて胃がもたれた。せめてお酒にしよう。

アニ●イトの件に関しては、場所が場所だった故、もしかしたらメジャーな誘い文句だったのかもしれない。私が滅法おたくに見えたのかもしれない。確かにおたくだけど、しかし残念なことに私はお店の場所を知らなかったのである。

ていうかその手に持っているiPhoneで検索すればいいじゃん!と強く思った。

 

話を戻してそれじゃあ私はどんな言葉をかけようか、と妄想してみる。

可愛いね、とか言われたらお世辞でも嬉しい。だからまずは褒めていこう。 

年齢を聞くのはあまりよろしくないから、外見だけでなんとかタイーホもされず好みの年頃の子を探す。

それからどうすればいいんだろう。私はお酒が飲めない。

本気でお茶でもしちゃおうか。でも見ず知らずの人とわざわざお茶を飲む女の子なんているのか。もうそこは目的を果たしにいっていいんだろうか。

可愛い女の子との妄想は膨らむ。

けれどそうやって妄想しているだけでなんか楽しいので、私が男に生まれても結局は、なんぱなんて冒険心あることは出来ないままな気もする。性別なんて関係なく、要は自信が大事なんだ。

昔のこと

隣の家に住むおじさんは一人暮らしだ。
もう80を超えているから「おじさん」という年齢でもないが、子どもの頃からの癖でおじさんと呼んでいる。最近ボヤ騒ぎを起こした。
彼には娘が二人いて、二人ともすでに結婚し、家を離れている。私は娘のお子さんたち(おじさんのお孫さん)と歳が近く、娘さんが子供を連れて隣の家に帰省していた時、よく一緒に遊んだ。

いなかの風習は、ときにとても面倒くさく感じる。
集落内はもちろん皆が顔見知りで、知っていなくてもいいようなプライベートな情報が筒抜けになる。
村八分、てきなものもちゃんと存在してる。

私は長らく、おじさんの妻について考えたことがなかった。
おじさんに娘がいることはずっと知っていた。けれど私の記憶の中に奥さんの存在はなかった。
だから誰にも聞いたことがなかった。誰も教えてはくれなかった。

大人になった私はふと、その存在が気になり祖母に聞いてみた。祖母は声を潜めて「働きものでとてもいい人だった。器量はそこまで良くなかったけれどいい人だった。子どもたちがまだ小学生の頃、農薬を飲んで死んでしまった。病んで体調を崩していて、それから夫が浮気していた。かわいそうだよ」と言った。

私にとって隣のおじさんは、会えば挨拶をする良い人で、どこにでもいる近所のおじさんだった。
そのときまでは確かにそうだった。

祖母の話を聞いて以来、私にとって隣のおじさんは、良い人ではなくなってしまったのかもしれない。
昔のことは分からないし、それぞれの胸の内なんてもっと分からない。
祖母はご近所の悪口が好きだ。私は祖母が大好きだ。
次隣のおじさんに会ったとき、私はその顔を何も言わずにじっと見つめてしまうだろう。

雑木林の革靴

私が小学生の頃、下校をともにする同級生は4人いた。
同じ地区には住んでいるものの、帰る方向が一緒というだけで家同士の距離は近くなかった。一番近い同級生の家に行くにも、鬱蒼とした山を抜け、子供の足で30分近くかかった。

ある下校中のことである。
いつも通り道草に道草を重ねる中で、「ちょっと山の中に入ってみよう」などということになった。子どもの考える事は信じられない。

通学路から道を外れ、突如山の中に分け入り、落ち葉が敷き詰められた雑木林の中を探検しはじめた。
この探検にはもちろん目的がないので、誰かがなんとなく「そろそろ帰る?」と言った時が帰りどきだった。それかたまたま山を抜け、舗装された道に出るまでが探検だった。

夕方の雑木林の中はかなり暗く、みんな少なからず心細くなっていたと思う。私はものすごく心細かった。早く家に帰って茶の間でNHK教育が見たいと思っていた。
じゃあ探検するなって話だが、子どもに理屈は通じない。

そんななか事件は起こった。
雑木林の中に突如革靴が落ちていたのである。
「これ……」
誰かがぽつりと口にし、皆が一斉に口を閉ざした。
その瞬間、私は肝が冷える感覚を味わった。
『今日未明、山奥で成人男性の遺体が発見されました。発見者は地元の小学生で、当局によるとーー』
という謎のアナウンスが瞬時に脳内に再生された。
雑木林の中に人の手が生えていたらどうしよう、もしかして今私の立ってる場所に死体が埋まってるかもしれないーー暗い妄想はどこまでも広がる。

おそらく皆の頭の中にも似たようなワードが並べられたに違いない。
「か、帰ろうか」と誰かが呟くや否や、そそくさと今来たであろう方角に早足で歩き始めた。
友達の手前、走り出したい気持ちを抑え全力で早歩きした。いわば競歩である。


今日まで、あの辺りで遺体が発見されたという話は聞かない。
けれどあんな雑木林に踏み入る人間は私たちだけだったろうから、発見されなくて当たり前だ。
ただ革靴が捨てられていただけに違いない、絶対そうだと信じることにします。

この一件で雑木林への道草には懲りたかと思いきや、私たちは小学校を卒業するまでありとあらゆる道草をし続けた。学ばない子どもである。まぁゆとり世代だから仕方ない。こう言っとけばなんでも許される。

探検と称し雑木林に踏み入り、捨てられていた革靴ひとつにびびって逃げ出す根性は、今もほとんど変わっていない気がする。

そして今でも夕方家でイーテレを見るのが大好きだ。

出身:山

いなかで育った。
東京で暮らすようになってから、いなかで育ったと人に話すとかなりの確率で「あーうちも地元いなかなんだよね〜」と言われる。「へえ、そーなんだね^^」と口では適当に返すが私はその度に、心の中で思っていた。
おまえらの言ってるいなかと私の言ってるいなかはなんか違うらしいって知ってんぞ!

「でっかいイオンが出来るまで何もなかった」「全然電車が来ない」「家と畑ばっか」
話を聞いてると、私以外のいなか出身者はだいたいそのような共通認識があるらしく、いなかあるあるで盛り上がっているじゃないか。楽しそうである。とても加わりたい!

しかし私にとってそれは「都会」に分類されてしまうのだ。だってイオンと駅と住宅地があれば都会じゃないか!
話は変わりますが、新幹線に乗っていて、車窓から田畑の真ん中にズドンとそびえる巨大なイオンを見つけると「つ、ついにこの地まで来たか…」と謎のワクワク感に襲われ、頭の中でドラクエのテーマが流れ出します。

さて、私の地元は、最寄り駅まで10kmあり、しかも山を二つ越えなければなりません。「山のふもとに家がある」なんて可愛く言えたらいいが、そもそも山の中に家がある。災害などあれば真っ先に孤立する集落でしょう。
母校の小中学校は廃校寸前で、保育園はすでに一人も園児がいないらしい。
Googleアースで実家上空付近を見ると緑色。
そのあまりのいなかっぷりに、東京で知り合った、いなか出身者の友人を招いて絶句させてしまった。

そこで思った。
もういっそこの僻地を「いなか」と表すのをやめたらいいんじゃないか。
私が「いなか」と言うせいで他のいなか出身者との間に越えられない溝ができ、話が面倒くさくなっている気がする。

次からは声を大にして「山」出身と言いたいです。

「じゃあ私も」

超久しぶりにまともな小説を読んだら、意味のない文字が書きたくなったのでブログを始めてみます。

子どもの頃の思い出とか今に近い記憶とか色々振り返りつつ、はっとするきっかけにしたいと思うけどどうせすぐ飽きるので、とりあえず飽きるまでは続けたいです。